ジモット人 INTERVIEW

ジモトを愛する方々にインタビューしました!

vol.14| ねごやファーム代表 石井好一さん

だって面白えじゃん!
その先の笑顔を原動力に 地元農業を豊かに、元気にする
ねごやファーム代表の石井好一さん

その日の朝収穫した卵を直売する、相模原市根小屋地区にある「津久井ふるさとたまご」。スーパーで売っている卵よりは少し高価だけれど、新鮮で安全、そして何よりおいしいとあって、地元の人を中心とした常連が足繁く通っています。そんな(有)石井金原養鶏の3代目で、現在代表を務めている石井好一さんは、養鶏や農業の傍ら「大豆の会」や「青根酒米作りの会」を立ち上げ、相模原の農業を支えています。

 

卵で育った青年が地元の“農”を支える第一人者に

― まずは、ねごやファームについて教えてください

養鶏と野菜作りを行っていて、鶏舎の隣にある直売所で販売をしています。卵は、独自配合の飼料で健康的に育てた鶏「もみじ」「さくら」「ゆり(ジュリア)」が産んだもので、それぞれ個性の異なる味わいが特徴です。こだわりは、その日の朝に獲れた卵のみを販売すること。卵を仲卸業者に卸していた時期もありましたが、1997年ごろからおいしくて、安全な卵を食べてほしいと、自家直売所を始めました。その横で販売している野菜は、有機肥料(鶏糞)を使用し、減農薬で栽培。旬の新鮮野菜を楽しんでもらっています。

― 石井さまが3代目ということですが、
  ねごやファームの歴史について教えてください。

もともとは祖父が撚糸業を営んでいて、できた品物を八王子に納品する際に庭先で飼っていた鶏の卵も運び、売るようになったのが始まりです。昭和10年ごろのことで、当時は卵が貴重だったと聞いています。その後、化学繊維の広まりによって撚糸業が廃れ、祖父から父が受け継いでからは養鶏を本格的に行い、仲卸業者に納入するようになりました。
私は、父のすすめで農業大学に進学していて、まさに「卵で学校に行った」ようなものです。子どもの頃から自然と養鶏を継ぐと考えてきていて、大学卒業後に就農しました。平成に入ってからは地元の生協との取引をし、その時に学んだことは、今の養鶏にも生きています。

― 自然と養鶏の道に進んだとのことですが、
  他にやりたいことなどはなかったのでしょうか?

「養鶏を継ぐ」と、子どもの頃から刷り込まれていたので…。ただ、遊びもしっかり楽しんでいて、高校時代からやっていた山登りは、26歳くらいまでやっていました。でも、ピタッと辞めてしまったんですよね。その後、興味を持ったのが政治活動でした。政治活動と言っても立候補するのではなくて、後援会での活動です。熱心にやっていて、首相経験のある現役の議員さんにあったこともあるんですよ。結婚を機に辞めて養鶏と農業に真剣に取り組むようになりましたが、当時身についた人との関わり方や繋がり方などは、「大豆の会」や「青根酒米作りの会」の大きな参考になっていますね。

 

人と人との縁が作る相模原産の大豆と酒米


― 2000年にスタートした「大豆の会」について教えてください。

「大豆の会」を始める以前から地域の農業の衰退を問題視していて、「どうにかしよう」という思いがありました。ちょうど、私の野菜の師匠である人から、野菜と一緒に味噌を販売している話を聞いたんです。野菜と味噌のセットが人気だと。そこで、地元の在来種の大豆を育て、仕込み味噌を作るところまでやったら面白いし、興味を持ってもらえるのではないかと思いつきました。
大豆は、相模市の旧津久井郡域を中心に県内で古くから栽培されてきたもので、かつては津久井郡と呼ばれていたことから、「津久井在来大豆」と呼んでいます。「幻の大豆」と呼ばれるほど、生産量が減っていましたが、平成20年に「かながわブランド」に認定され、味噌の他にも豆腐や納豆などの加工品の販売ができるようになりました。

― 石井さんは、地元小学校の子どもたちとも
  大豆作りをしているんですよね。

小学校の総合学習の時間に、子どもたちと種まきや収穫した大豆を使った味噌の仕込みなどをしています。初めは地元の根小屋小学校の1校だけでしたが、コロナ禍前には12校で実施するように。約1000人の子どもたちが大豆作りに参加しました。子どもたちに、「地域の誇りとなる産物があることを知ってほしい」と思いやってきましたが、子ども達を通してその親たちにも津久井在来大豆の存在を知ってもらう機会になっています。


― 2020年からは「青根酒米作りの会」を始められましたね。
  何かきっかけがあったのでしょうか?

田んぼはないのですが、相模原で育てた酒米で日本酒を造りたいと以前から思っていたんです。ある時、相模原市内にある久保田酒造の方と出会い、私の想いを話したら意見が一致して。そこから、この活動が本格的に動き出しました。
実は、お酒の原料になるお米の山田錦の栽培は、参入が難しいと言われているんです。しかし、私たちの活動を知った相模原市の課長が、種子の入手の手配をしてくれました。また、田んぼの作り方は、以前から付き合いのあった若い農家さんがしてくれています。

― さまざまな縁が結びついて始めることができたんですね。

そうですね、自分1人の力では難しいことは、人を巻き込む。それは、選挙活動で学んだことのひとつですね。
そもそも、人との付き合い、縁、は大切にしていて、“しっかり付き合う”ことが大切だと思っているんです。例えば失礼なことをしないとか、立てるとか、当たり前のことをすることです。私は弁が立つタイプなので、つい、上から物を言ってしまうことがあって、若い時によく注意されました。人付き合いをきちんとしていれば、そういう自分の悪癖も周りの人が注意してくれるんですよね。改めることができれば、人から認めてもらうことができる。そういうことも縁をつなぐためには大切なんだと思います。

 

自分が面白いこと、人に喜んでもらえることが嬉しい


― 「大豆の会」「青根酒米作りの会」と、地元農業を元気にする活動を
  精力的に行なっていますが、その原動力はなんでしょうか。

以前、著名な料理研究家で「大豆100粒運動を支える会」会長の辰巳芳子先生に“無私”の精神が大切と言っていただいたことがあります。確かに、私には「儲けよう」といった気持ちはなくて、「儲ける」というところからは遠くにいようとしていますね。
じゃあなんでいろいろやっているのか…。やっぱおもしれえじゃん。自分が面白いと思ってチャレンジして、それが周りの人にも喜んでもらえたら、「やったー!」って嬉しくなるんです。

― 楽しくてやっていることが、人を喜ばせているんですね。
  そんな活動のベースは地元・相模原にありますが、
  相模原に対してはどんな思いがありますか?

好きではない部分もたくさんあります。でも、生まれてからずっとここで生きてきた場所。だから、ここでやっていくしかない、という思いがありますね。相模原の良いところは、住み良い街だというところ。そんな、相模原の「いいね!」と言われる部分に携わっていきたいですね。

― 「ジモティビティ」で大豆作りや酒米作りなど、
  「JIMOTTO」とコラボレーションできそうなことはありますか?

そうですね!どちらも人の手が必要な作業がたくさんありますし、若い人を中心に多くの人が相模原の農業を知るきっかけになれば良いと思います。